住宅建材部

福島 芳輝Yoshiki Fukushima

2015年入社

世界を股に掛ける、なんて
言い過ぎだけど、自分の手で
新しい商品をつくるその日まで。

Story.01

入社半年、一人きりの中国出張。

入社後の研修や先輩との同行で、やっと仕事の全体像がつかめたかな…と思ったのが入社して半年目くらい。そこから先はもう、一人で日本と中国を行き来する生活を送っていた。仕事は主に、中国の生産パートナーの工場で製造しているフローリング用の床材の仕入れだ。毎月だいたい1週間、長ければ2週間を現地で過ごす。パートナーの工場を周り、品質をチェックし、不足している点は指摘する。納期や価格の交渉もする。

大学卒業後にイギリスへ語学留学していたから英語には自信があったけど、あまり役には立たない。コミュニケーションの殆どは身振り手振りとつたない中国語だからだ。一度、山奥の工場へ交渉に行った時は社長が相当なご年配で、中国語な上に言葉が聞き取りづらく、困り果てた。たまたま、流暢な日本語を話す社員の方が通りがかり通訳を買って出てくれて、ほっと胸を撫で下ろした、という出来事もあったっけ。

Story.02

気がついたらベッドの上で大の字、
なんてことも。

現地で1日の仕事が終われば、その後は中国人のパートナーと連れ立って夕食へ行くことも日課だった。中国人って、シビアなビジネスの現場を離れると、とにかくおもてなし好きな人たちだ。当時、よく訪れていた四川省で有名だったのが火鍋。唐辛子で真っ赤になった世にも恐ろしい鍋に、串に刺さった羊肉を入れてみんなでがっつく。それで、後はひたすらビールを流し込むのだ。

大変だったのは「干杯(カンペイ)」の儀式。誰かが「カンペイ」と叫んでグラスを開けると、その場の全員が同じように飲み干す。どうやら日本みたいに、各々が自分のペースでお酒を嗜むっていうのは失礼にあたるらしい。幸か不幸か、お酒の強さには自信があったのでどうにか付き合えたけど、それでも、気がついたら宿のベッドで大の字に転がっていた、なんてこともしょっちゅうだった。ただ、苦労のかいもあって、中国のパートナーとの関係をかなり深められたと思う。

Story.03

舞台を変えて北欧へ。
ところ変われば付き合い方も変わる。

中国担当として数年間の修行を積んだ後、部署が変わって次は北欧を担当することになった。商材は室内ドア、玄関ドア、サッシなどの住宅用建材だ。スウェーデンやフィンランドといった国々のパートナーと、交渉の上でものを仕入れることがミッションだ。交渉相手がスェーデン人やフィンランド人に代わっただけで、やっていることは中国担当だった時と変わらないわけだが、やはり、ところ変われば人も変わる。

とかく「せっかち」という印象が強かった中国人と違って、北欧の人ってどこかのんびりだ。それはそれで問題ないけれど、例えばメールのやりとりをメインに交渉を進めていると、返答が返ってくるまでに数日かかることもある。このタイムラグには慣れるまでに苦労した。それ以上に、今度は商品も違う。ドアなどの商品になってくると、図面もそれだけ複雑になる。今まで以上に専門知識が必要になるのだ。本当に、学ぶことが次から次に出てくる仕事だなと、つくづく思う。

Story.04

いつかは、自分の手で
オリジナルブランドをつくりたい。

中国で悪戦苦闘の日々を過ごし、北欧で文化の違いに苦労し、商品の仕入れに関しては、すごく濃い経験をさせてもらったと思う。でも、自分の仕事はこれからがスタートなんだと、密かに思っている。いくら、いろんな国からいい商品を仕入れても、それを日本国内で扱ってくれる“自分の顧客”を持っていなければ、最終的に商品をユーザーまで届けることができないからだ。

これからは、国内の顧客開発に力を入れようって思っている。大事なのは時間の使い方だ。例えば1ヶ月のうち2週間は海外との仕入れ交渉に使う、1週間を社内会議などに費やす。すると、自分の顧客開発に使えるのは残り1週間だ。この時間をどう使うか。建材の商社や工務店などの現場でどんな商品が求められているのか、できるだけ深く・確かなニーズを探りたい。その情報を仕入れに活かし、できれば新しい商品を自分の手で開発したい。そのために今は、地道な営業活動を続けている。いつかは、会社のWEBサイトで紹介されているようなオリジナルブランドを立ち上げることが、大きな目標だ。

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